2021-05-24

迷惑な候補者でスミマセン

何度か書いてきましたが、総長選考の候補者になろうと思った最大の目的は大学の改革です。そのためには、まず総長にならねばなりません。京都精華大学のウスビ・サコ先生は対談の時に、学長になるというのは手段であって目的ではない、とおっしゃっておられました。僭越ながら、私にとっても同じようなところかもしれません。

もちろん、選ばれるかどうかはわかりません。なので、もうひとつの目標を設定しました。大学改革や総長になるということに比べたら、かなり小さいものです。それは、総長選考、あるいは学長選考のやり方がおかしいということを社会に向けて発信することでした。

その内容は、コラムにも書きましたし、デイリー新潮に寄稿もしました。うれしかったのは、私の活動を見て、毎日新聞の記者さんが取材に来てくださったことです。他社の知り合いの記者さんにはダメ元でお願いしたのですが、残念ながら取材してもらえませんでした。なので、見ず知らずの記者さんから連絡をいただいたのは相当に嬉しい驚きでした。

記事にしてもらえるかどうか、してもらえるとしてもいつなのか、どの程度の大きさなのか、など、まったくわかりませんでしたが、本当に嬉しくて、zoomでのインタビューをうけました。すごく楽しくて、1時間程度があっという間。思いの丈をぶつけました。

その内容は、5月21日にはまずネット記事、22日には夕刊(大阪版)の紙面として掲載されました。夕刊に出るとご連絡をいただいたので、近所のコンビニに行ってみたのですが、売ってないとのこと。大きな駅の売店ならあるだろうと、わざわざ電車に乗って買いに。そしてプラットホームで広げて驚愕。

なんと社会面のいちばんいい場所に6段、トップから広告のすぐ上まで、の大きな記事。それも、うれしそうに取材に応じているところと、このHP『かわろう! 大阪大学』の写真付き。あまりのことに涙が出そうになったほどです。「大学のトップの役割は『“気分”を変えること』だと仲野徹教授は言う」といった、実にポイントをついたことを書いていただけてました。

ちなみに、すぐ左の記事は和歌山にあるアドベンチャーワールドで生まれたパンダの「すくすく6ヶ月」という記事でしたが、私の記事の方が3倍ほど大きいものでした。かなり昔ですが、三遊亭円生師匠がお亡くなりになられた記事が、パンダのランランの死亡記事より小さくて話題になったことがあります。それを思い出しながら、おぉ、パンダに勝った、と思ってしまいました。まったく意味はありませんけど。

総長選考のやり方のおかしさについて発信し続けたことは、選考会議の委員の方たちには迷惑なことだったでしょう。私のそのような活動がお耳にとどいているかどうかわからないので、面談の席でも、総長選考会議のおかしさについて、はっきりと申し上げました。ただ、これは、決して選考委員の責任ではなくて、制度そのものが悪いのです。なので、おそらく委員の方々も困惑しておられるのではないかと想像しています。

いくつもの問題を受けて、「外部有識者の委員数を明確化し、会議の名称を『学長選考・監察会議』に改め、選考後の職務執行をチェックする権限を加える」法改正がおこなわれ、来年の4月から施行されます。また、「衆参の委員会では『議事内容を教職員や学生にできるだけ公表し、大学の自治を尊重するよう努める』との付帯決議が採択」されています。(5月14日付、日本経済新聞「学長選考会議の権限強化 国立大、改正法成立」)しかし、これだけでは、総長が続投の意向を示した時の問題点の解決にはなりません。

「ひらかれた大学」を謳っているにもかかわらず、所信表明などが学内公表限定になっていることも批判してきました。これについては、毎日新聞に対して「あくまで総長選考に関わる本学構成員の間での自由闊達な議論を促すため」との回答があったようです。公開して外部の方に知ってもらっても、自由闊達な議論が阻害されるとは思えない。むしろ外部の目にさらして、世の中の「常識」から外れてしまっていないかどうかのチェックを受けた方がいいでしょう。

そして、現職総長が候補になっていることについては、「公正な立場で選考を行う」というコメントがあったそうです。もちろん、見識ある委員の方々ですから、公正な選考がおこなわれるであろうことは十分に理解しています。しかし、「ひらかれた大学」としては、もう一歩踏み込んだコメントを出してほしかったところです。

どう考えても、私のように、こういうことを大々的に発言する候補者は、総長選考会議ならびに関係者にとってはさぞ迷惑なことだったろうと思います。誠に申し訳ございませんでした。謝るくらいやったら初めからやるな、って言われそうですけど。

写真:毎日新聞の紙面から(2021年5月22日付、大阪版夕刊)

 

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