2021-05-08

ジェンダーギャップの解消・中:トラウマ

ジェンダーバランスをめぐってトラウマのような出来事があった。ずっと心の中で引きずってきた。個人的なものなのだが、紹介したい。

ちょうど15年前のこと。師匠であるノーベル賞学者、本庶佑先生がIUBMB(国際生化学・分子物学会議)の学会を京都で開催された。そのサテライトとして、Young Scientist Programという、世界各国から100名ほどの優秀な若手研究者を招待するプログラムの責任者をおおせつかった。調整して、参加者の男女比はほぼ半々とした。

エクスカーションなどもあったが、メインイベントはポスターによる研究発表とベストプレゼンテーション賞の表彰だ。厳正なる投票により上位5名を決定。あとはパーティーで、賞状と賞金を渡せばおしまいと一息ついていた。そのプレゼンターとして、IUBMBのトップ、Mary Osborn先生にご来席いただいた。Osborn先生は、生命科学研究者なら誰一人知らぬ者がないといっていいほど有名なSDS-PAGE(えすでぃーえす・ぺいじ、と読みます)という方法を開発された女性研究者である。

5人の優秀者リストを見たとたん、烈火のごとく怒り出された。どうして、女性がはいっていないのか、と。いやいや、これは厳正な投票で決めたもんなんやから、しかたありませんがな。と大阪弁なまりの英語で説明したけれど、まったく受け入れられない。賞金が必要ならポケットマネーで出すから、ひとり女性を選んで6人にせよとおっしゃる。

幸いなことに6位が女性だったので、その方を追加した。賞金については、学会でなんとかしますからと伝えた。結局は学会が出してくれたからよかったものの、いざとなったら自腹を切ろうと瞬時に決意せざるをえないくらいの勢いだった。

怖かったけれど、いたく感動した。ジェンダーに対する姿勢、世界はここまできているのかと。そして思った。二度とこんな目にあいたくはないから、考えを根本的にあらためようと。さらに、あぁ、日本も、近いうちにこういったアファーマティブアクションが積極的にとられて、10年もしたらジェンダーギャップは解消していくのだろうと確信した。

15年たった今、確信と思ったわたしがバカだったことはあきらかだ。しかしその間、お前はいったい何をしてきたのだと言われたら、お恥ずかしい限りである。ジェンダーに対する意識だけは高くなったが、何もしてこなかった。それがずっと心にひっかかっていた。

総長選考の候補者になるチャンスをいただいた。ジェンダーギャップの解消を最優先課題にしようと真っ先に決めた。その理由は先日書いたとおりだ。総長に選ばれる可能性がどの程度あるかわからない。しかし、わたしの最大の目的は、大学を改革することだ。もし、こういった論説を読んで、先に試みてみようという大学が出てくれば、それだけで候補になった甲斐があるというものだ。

ごく最近知ったのだが、Osborn先生についてのWikipediaを見ると「Support of women scientists(女性科学者援助)」という項目がある。こういった活動の先駆者だったのだ。米国からドイツに移られた時、あまりにヨーロッパのSTEMが女性に開かれていないことに驚いて始められたらしい。70年代のことだ。15年前の出来事は、その時代を先駆けた活動から見れば、信じられないことだったのだろう。その姿勢を目の当たりにできたのは幸せなことだった。あの時は怖かったけれど、いまとなっては、とてもいい経験をさせてもらったと感謝している。もし総長になれたら、絶対にお礼を伝えなければと勝手に考えている。

写真:Young Scientist Program@IUBMB 2006

 

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