2021-05-07

ジェンダーギャップの解消・上:クォータ制

ごく最近出版された東京大学大学院情報学環の吉見俊哉教授による『大学は何処へ 未来への設計』(岩波新書)は、国立大学法人の問題点を洗い出し、その進むべき道を指し示した好著である。その宣伝文句には「今、踏み出さなければもう間に合わない」とある。変わらなければならないと長年言い続けられてきたのだから、当然だろう。

もし総長に就任できたら、真っ先に取り組むことは決めている。女性教員比率30%を達成することだ。国立大学法人において、その数値を達成しているのは、二つの女子大学をはじめ、ほんのわずかしかない。

多くの大学が何年も前から目標にあげているのに、どうしてこんな状態に留まるのか。答はシンプル、「やっている感」は出しているが、本当にやろうとしていないからだろう。そのベースには、文科省から言われてはいるけれど、他の大学もできていないから大丈夫という横並び感があるに違いない。

女性教員比率の向上だけではなく、グローバル化、財政の充実など、国立大学法人に課されている難題は多い。しかし、やろうと思ってもおいそれと実現できないことも多い。たとえば、グローバル化のひとつである外国人教員比率の向上だ。

現状の雇用環境や雇用条件で、わざわざ日本を選ぶ外国人研究者がたくさんいるとは考えにくい。たとえば、優秀な外国人研究者が日本で研究室を主宰しようとする。だが、そのためのスタートアップを支援する制度がない。それに、大学内のややこしい制度がすべて英語化されている訳でもない。わたしが見るところ、日本に長期間いる外国人研究者は配偶者が日本人であることがけっこう多い。なるほどと思われるだろうが、決して笑えるような話ではない。

こういったことに対して、女性教員比率の向上は、大学が本気を出せば必ずできる。アファーマティブアクションによるクォータ制を導入すればいい。他の要因など関係なく、この決意をするだけで進むはずだ。

ジェンダーギャップ指数、日本はG7で最下位というだけでなく、先進国で最大、そして世界120位である。東京五輪組織委員会の女性理事比率が一気に引き上げられた例を出すまでもなく、これを何とかしなければならないという気運は非常に高い。そしてやろうと思えばできる。天下の大阪大学である。いまのような世間の状況で、女性教員比率30%達成に異議を唱える部局はまさかあるまい。

達成できたら、その影響はジェンダーギャップの解消に留まらないと考えている。長い年月「やっている感」でしかなかったことを実際にやりとげることによる精神的影響はかなり大きいはずだ。他の課題についても、「やっている感」ではなくて、どの程度までなら「やる」ことができるのかを真剣に考える方向に向けばしめたものだ。できもしないことを「やっている感」だけ醸し出して何年も議論し続けるのはまったく馬鹿げている。無駄な時間だけが無為にすぎていくにすぎない。

たとえ文科省から指示されても、できないことはできないのだ。実際にやることができるレベルを文科省と真剣に討議し、落としどころを見つける作業を本気でやらないと、いつまでたっても課題のまま残される。そのような状況が双方にとって望ましくないことは誰が考えても当然だ。しかし、こういうことを主張するには、ひとつでもいいから、まずはやり遂げたという実績が必要だ。それにはジェンダーギャップの解消が最適だと考えている。

このようなアファーマティブアクションを唱えると票が減りますよと言われたことがある。確かにそうかもしれない。しかし、上に書いたように、この程度のことをクリアできなければ、他の改革などできるはずがない。わたしにとっては、そんな大学なら総長になる意味などない。

写真:屋久島 白谷雲水峡

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