2021-05-04

あの頃わたしは偉かったーテニュアトラックプログラムの思い出-

我ながら、あの頃は偉かったと思う。『オンデマンド仲野』に書いたように平成16年度から5年間、21世紀COEのリーダーを務めた。その最終年度、平成20年度に、テニュアトラック制度『大阪大学生命科学研究アプレンティスプログラム』をJST(科学技術振興機構)に申請して採択されたのだ。これも、21世紀COEと同じく、年間約2億円を5年間のプログラムだった。

テニュアトラック制度というのは、「公正で透明性の高い選考により採用された若手研究者が、審査を経てより安定的な職を得る前に、任期付の雇用形態で自立した研究者として経験を積むことができる仕組み」(JSTのHPより)のことだ。ひらたくいえば、きちんと独立できるかどうかを見極めるための期限付き雇用みたいなものである。若手研究者の育成に適した方法で、欧米では広く取り入れられている。

当時は、大阪大学に「生命科学生命工学研究推進機構」が設置されていて、わたしがその副機構長だった。機構長は担当理事だったので、実質上のトップだ。話し合いしかしないような組織だったので、具体的な何かをせねばということで、なかば仕方なく立案した。その2年ほど前に、医学系研究科の副研究科長として独立准教授制度を発足させ、うまく動き出していたので、勝算もあった。

理学、医学、歯学、薬学、生命機能の各研究科、そして蛋白質研究所の6部門に同意していただけての立案だった。アプレンティスプログラムの「アプレンティス」というのは「徒弟」のことである。独立して研究させるのにアプレンティスという言葉は相応しくないのではないかとずいぶん言われたが、他にいい言葉がないので押し切った。

最終的には12名の優秀な若手研究者が参加してくれた。こういうプログラムの場合、えてして内部昇格が多くなるのだが、各研究科はガチンコで選考してくださったおかげでほとんどなし。これは驚くとともに、とても喜んだ。だが、嬉しさはここまでだった。

初年度の予算申請は想像を絶する大変さだった。若手研究者としては優秀なのだが、いかんせん運営の経験はほとんどゼロ。それに、当時のJSTへの書類は煩雑を極めた。全員の申請書類を書き直しながら、どうしてこんなことをせねばならないのかと涙…。こまごまと指導しながら、やっぱり徒弟みたいなもんやないかとひとりごちていた。

最終的には、プログラムはうまくいった。いまでも、毎年、アプレンティス君たちが忘年会を開いてくれるのが、年末の何よりの楽しみになっている。これまた「いややなぁと思うような仕事ほど引き受けたほうがよろしいで」という恩師の言葉を噛みしめることができる経験になった。これまでに携わった仕事の中で最高の思い出だ。そして、若手研究者の育成にはテニュアトラック制度がベストであると実感した。

ただ、運営上、気になることがいくつもあった。ひとつは、複数部局にわたるプログラム運営の難しさだ。いまは経営企画オフィスなどがあるが、当時は文字通りなにもなかった。21世紀COEの時もそうだったが、基本的には一人ですべての調整をおこなった。各部局の委員の先生がよくやってくださったし、部局長の先生方がよく理解してくださったとはいえ、大変だった。

ややこしかったのは、各部局に細々としたローカルルールのあることだ。統一ルールで本部の号令一下というわけにはいかないのである。これは、大学が抱え込んでいる、改革せねばならない大問題のひとつだ。それでも、テニュアトラック教員には間接経費の全額を本人に支給とか、テニュアトラック教員は大学院生の直接指導を可能にするとか、かなりの無理を通していただけた。

いまはそのようなことはなくなっていると思うが、本部の態度は実にひどかった。申請する時、すなわち、お金を取りに行くときは熱心なのだが、いざ採択された後のサポートは完全にゼロ。さらにひどかったのは、生命科学生命工学研究推進機構をなくされたことだ。疲労困憊、二度とこういう申請はすまいと固く決心した。

申請書には「生命科学生命工学研究推進機構が全力をあげて運営する」と記載したのに、中間報告の時点では、機構は消滅していた。すでに副機構長の任になかったので、何があったのかは知らない。しかし、ハシゴを外されて愕然とした。なんとか切り抜けたが、後日、審査員のおひとりから、「あの時は、プログラムとしてはいかがなものかと思ったが、リーダーに元気があるから大丈夫だろうということになった」とおうかがいして、うれしいやら悲しいやら。

インセンティブとまでは言わない。大阪大学のために、というモチベーションが自発的に沸いてくるようなシステムにせねばならない。大学というところは、多くのことが委員会で検討されるが、基本的には委員長システムになってしまっている。個人に負担を強いすぎるのだ。個人プレーではなくて、オープンなチームプレー。そういったやり方にに移行するだけで、負担がかなり軽減できるのではないかと考えている。

写真:キナバル山@マレーシア

 

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