2021-04-30

文理の溝なき理想の大学

教授になって四半世紀を越える。総長候補に名乗りをあげて、いまさらながら気付いたことがある。医歯薬生命系以外の部局における教授の知り合いの少なさである。理工系はまだしも、文系となると、よく知っている教授の数は二桁に届かない。我ながらこれはあかんかったんちゃうかと思う。

総合大学とはいえ、かくも部局間の交流は少ないのである。文系学部のほとんどは、わたしの研究室がある吹田キャンパスでなく、豊中キャンパスと箕面キャンパスという物理的な理由もある。考えてみれば、文系の先生と顔を合わせるのは、全学的な委員会の時くらいだ。そんな機会でも、私的な会話をすることはあまりない。

昔、総長だった鷲田清一先生に、「あんたは医学部の先生やのに、縦書きの本を読むらしいな」と冗談交じりに言われて苦笑したことがある。自己肯定感が強いので、もちろん誉められたと受け取っておいた。ちなみに、年間150冊ほどを読むが、ほとんどすべてが縦書きだ。

昨年、読売新聞の読書委員に任命していただいた。これは嬉しかった。高校生のころから、新聞に書評を書く人というのは日本の知性だと思っていたのだから。ただ、いくら自己肯定感が強いといっても、自分をそうだというほど肯定的ではない。長いあいだ勘違いしてた、正直なところ、なんやこの程度やったんかと思ってしまった。読書委員会での自己紹介でこの話をしたら、えらくうけた。

委員会は20名で2週間に一回開催される。宮部みゆきさんや柴崎友香さんといった作家さん、南沢奈央さんのような女優さんもおられるが、半数以上は文系の研究者である。いまはコロナで開かれないのだけれど、委員会の後の飲み会でいろんなお話をするのがすごく楽しい。

考えてみれば、文系の先生から専門のお話をざっくばらんに聞く経験というのは、それまでほとんどなかった。なので、とっても新鮮だ。うわぁ、おもしろい分野ですよねぇ、阪大では聞いたことないなぁ、というと、たいがい、そんなことありません、○○先生とか△△先生とかがおられます、と言われる。ありゃ恥ずかしい。そうなんや。単に知らんだけやったんや。もったいないことをしてきた。

医学部の同僚には文系嫌いの人がけっこうおられる。ある臨床系の先生など、文系の教授はけしからんとおっしゃる。我々は一生懸命働いて大学のために稼いでいるのに、趣味的な訳のわからない研究ばかりして大学に出てこない。そのうえ給与体系が同じ。というのが理由だ。そんなこと言ってもしかたなかろう。それに、文系学部を切り捨てて大学を運営するようなことは不可能なのだから、仲良くすべきだ。

それに、趣味的な研究と言われると、ちょと耳がいたい。以前はそうでもなかったのだが、この10年ほどは、ほぼ役にたちそうにない趣味的な研究ばかりしている。それも、文系の先生の研究とはちがって結構な研究費を使いながらなのだから、わたしの方が分が悪い。

大学へ出てこないという非難も時代遅れだ。コロナですっかり様子が変わりつつある。ポストコロナもテレワークがより一般的になっていくだろう。通勤時間をなくして、その時間を大学のために使ってもらったら、そのほうがよろしかろう。

このような意見が出るのは、文系の先生と接する機会が少ないから、というのが大きな理由ではないか。たしかに、テーマがあまりに細かくて何の研究かすらよくわからなこともある。それは、専門家以外から見たわたしの研究だって同じことだ。もうちょっとフレームを広くとり、個々の先生のバックグラウンド知識まで視野にいれると、見え方が違ってくるはずだ。わたしが読書委員会の後の飲み会で経験してきたように。

所信表明のトップに「知の共有」をあげたのはこういった理由による。せっかくの総合大学なのに、文系はけしからんなどと言っていては問題外だ。ファカルティークラブのようなものがあって、日常的にいろんな分野の先生がぶらっとやってくる。そこでは、専門分野などに関係なくいろんな知的会話を心から楽しみながら交わす。時には事務系などの職員も加わる。そして、学生たちがそういった様子を羨ましく思い、いずれ自分もああいうようになりたいと願う。

わたしにとって、夢の大学とはそんな大学だ。

写真:ランタン谷@ネパールの夜明け

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