2021-04-28

現職総長が候補者になることの問題点

学長レースの勝ち方』についで、またまた朝日新聞がわたしのために記事を載せてくれたのかと思った。『国立大学長選考の混乱、各地で 法改正での収束、疑問の声』という教育面の記事(令和3年4月26日付)だ。内容は、国立大学法人の現職学長の再任を決めた学長選考会議の問題点についてである。

前半は、筑波大学の学長選考や旭川医大の学長の不適切発言をめぐる、学長と教員らの対立について。そして、後半は、現行の学長の選び方のおかしさについて。前半はよそ様のことだが、後半は大阪大学にも大いに関係がある。というのは、今回の総長選考は候補者が三名で、現職総長がそのうちのひとりなのだ。だから他人事ではない。現職総長は、配下である理事やシンパである一部の部局長を使って運動することができるし、実際にそのような動きが始まっている。それだけでも不公平感があるというのに。まぁ、ぶつぶつ嘆いてもしかたがないけれど。

「学長自身が指名や任命に関わった学内委員らの中から、選考会議のメンバーが選ばれるしくみ」なので、現職が続投を希望した場合、「現職学長が圧倒的に有利で、公正とは言いがたい」その記事にある明治学院大学・石原俊教授(社会学)のコメントである。だれが考えても当然すぎることだが、国立大学法人ではそういった制度がまかり通っている。

おそらく、学長選考会議や総長選考会議は大学とは独立して運営されているから問題はない、大学当局がどうこうすることはできない、というタテマエになっているのだろう。もちろん形式的にはそうだ。しかし、学長あるいは総長は任命に関係しているのである。朝日新聞のみならず、おかしいと考えるのが常識というものではないか。

どうしてこのような制度になっているのか、不思議である。記事には、国立大学の学長経験者の「長くトップにいると次第にまわりが見えにくくなる。任期は最長で6~8年が適正ではないか」というコメントも掲載されている。きわめて妥当な意見だ。権力あるいは権力欲というのは恐ろしいものである。それに、個人差があるとはいえ、歳をとるとどうしても体力は衰え判断力は鈍っていくだろう。さらには、大学改革の意欲も。

そういったことを真摯に考えると、いやしくも国立大学の長たるもの、権力に長く居座るのはよろしくないという良識的な判断を自ら下すはず。という考えから、このような制度が決められた時には、現職学長の立候補など想定されていなかったのではないか。わたしにはそうとしか考えられないのだが、いかがだろうか。

宮崎大学も学長選考が現在進行中だ。宮崎大学の関連HPを覗いてみると、宮崎大学医学部付属病院長と、元文部科学省科学技術・学術政策研究所長の菱山豊氏が候補という、すこし珍しい組み合わせの選考になっている。そのHPにある「候補適任者について」には、お二人の候補者のお名前だけでなく、その履歴書、業績概要、所信表明書もアップされている。社会に開かれた大学を謳う大阪大学だ。ぜひ、その程度の公表はしてもらいたい。

学長選考におけるHPからの積極的な情報発信は自分だけかと思っていたが、宮崎大学の菱山候補も自らのHPで毎日ブログを更新しておられる。簡単にだけれど4月25日のブログには私のHPのことも触れていただいた。個別訪問や部局での閉じた懇話会などではなく、こういったオープンな活動が学長や総長の選考活動のメインストリームになるべきだ。たった一人とはいえ同士がおられることは心強い。

写真:大杉谷@三重県

 

 

 

 

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