2021-04-27

オンデマンド仲野

偶然の出来事がだれかにとって決定的な意味をもったとき、ひとはそれを運命とよぶ。

大阪大学の総長をおつとめになられた鷲田清一先生の言葉である(『ことばの顔』、中公文庫)。なにをもって決定的というかは難しいけれど、振り返ってみれば、これがなければ立候補することはなかったであろうという運命的な出来事がいくつもある。私的なことについては『プライベートな理由』に書いたが、仕事がらみのことについて書いてみたい。そのひとつは、平成16年度から20年度にかけて21世紀COEプログラム「細胞・組織の統合制御にむけた総合拠点形成」のリーダーを務めたことである。

微生物病研究所から生命機能研究科への学内での異動が決まったころ、当時副学長をしておられた工学研究科の馬越佑吉先生から、21世紀COEプログラムの学際領域に、医工連携を目的とした再生医学で応募してほしいとの連絡があった。青天の霹靂というか、寝耳に水というか、まったく予想もしていなかった。そもそも、馬越先生との面識すらなかったし。

チームを組めと言われても誰をメンバーにするか、医学系はまだしも工学系については皆目わからない。それに、異動の前後でどう考えても面倒である。そんなことを言い訳にむにゃむにゃと返事をしていると、もうメンバーはほぼ決めてあるから、それで作文をして申請してほしいと迫られた。は?そんなんあり?逃げられへんやないですか。

いまだに、50前の私にどうして白羽の矢が立てられたのかがよくわからない。仲野は優秀でリーダーシップがあるからと思われたのかもしれないが、どうも違うような気がする。不戦敗よりは誰か出した方がまし。仲野を鉄砲玉にしよう、という程度のことだったのではないか。いずれにせよ、無事に採択された。

こういったあまりやりたくない仕事を押しつけられそうになった時、いつも頭をよぎる恩師の言葉がある。それは、「いややなぁと思うような仕事ほど引き受けたほうがよろしいで」というものだ。そして、「後から振り返ったら、だいたい、そういった仕事ほどやってよかったと思いますで」と続く。

おそらく、仲野はみんなのための仕事をやりたがらない不届き者だと思われていたのだろう。決してそんなことはないし、けっこう素直なところもあることを、この機会に声を大にして言っておきたい。それはまぁいい。ともかく、これを座右の銘として、いろいろな仕事を引き受けてきた。21世紀COEの時も、最後に決断したのはこの言葉のせいだった。いや、この言葉のおかげだった。

13名のメンバーで、わたしより年長の先生が、日本発の心臓移植手術で有名な松田暉先生をはじめ8名という構成だ。また、5名は、それまでまったく面識のなかった先生だった。医学、工学、基礎工学という三つの部局にまたがるプロジェクトでもあり、やりにくいかと案じてスタートしたが、実にいい経験になった。

運営はともかくシンプルにしようと決めた。そして、なによりも公平を最優先に運営する。予算などを決める運営委員会は原則として年に1回で、あとはメール審議。年間2億円程度だったと記憶しているが、それだけの予算のプロジェクトにしては異例ともいえるほど簡素化した。しかし、まったく困るようなことはなかった。適切なリーダーシップでやろうと思えば、無駄を省くことができるということがよくわかった。

みなさんには非常によく協力していただき、かなりの成果をあげることができた。諸々の事情から、そのときのメンバーや、メンバーを通じて知り合った先生がおられなければ、今回、候補者にならなかった。より正しくは、なろうと思ってもなれなかった。最初はためらったものの、COEのリーダーを務めて本当によかった。

この言葉にしたがって、ほとんどの仕事をお引き受けしてきたから、自分のことを「オンデマンド仲野」と呼びたいくらいだ。ただ、自発的にこの仕事をしたいと志願をしたことはない。今回の総長選考の立候補者になったのが初めてだ。「仲野さん、やっぱりいやな仕事を引き受けといてよかったですやろ」と笑顔で語られる恩師の声が聞こえるようだ。もう10年近く前にお亡くなりになられた先生だが、いくら感謝しても感謝したりない。

写真:モンブラン登頂不成功の後

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