2021-04-24

新しい学部の設置について:下

正直なところ、従来のやり方、教員異動方式での学部新設は難しいと考えている。大昔、ちょうど20年前、現在の所属で以前に研究科長を務めた生命機能研究科の新設のことがトラウマのように頭にこびりついているせいだ。当時、微生物病研究所の教授として、新研究科設置委員会の末席を汚していた。

生命機能研究科は学部を持たない大学院だけの研究科である。細胞生体工学センターが10年の時限を迎えるので、その発展型として計画された。だから、発足は2002年の年度初めと決まっていた。しかし、委員会は信じられないくらいもめ、これでは間に合わないのではないかと思ったほどだ。当時の副学長が学長から強く叱責されたのをよく覚えている、怖かった。最終的には時間切れ寸前、2002年に入ってからようやく決着を見た。

ポストを切り出される部局の抵抗がものすごく強かったのが最大の理由だ。落としどころとして、帳簿上は移籍させるが人事権は元部局にあずけたままにする案が、一部の部局のポストに採用された。時間的な制約があったのでしかたないけれど、いずれ解消されるのだろうと思っていたのだが甘かった。というのは、20年たった今もそのままなのだ。だから、生命機能研究科は、人事的には完全に独立していないといういびつな状態が続いている。

かくも大学における教員の移し替えというのは難しい。では、それなしで新学部を設置することが可能か。初期調整が必要ではあるけれど、不可能ではないと考えている。そして、以下に書くように、もしそういったことができれば、大学全体の教育を大きくリモデリングし、大学改革を推進できる可能性を秘めている。

それは、完全な教教分離(教育研究組織と教員組織の分離)による新学部設置だ。環境についての新学部、環境学部をつくるとしよう。もちろん、運営のために専任の教員が何人かは必要である。ただし多くはいらない。それは本部がなんとかするしかない。いや、こういった新しい方式で学部を作るとなると、文科省が純増してくれるかもしれない。

関係する学部は、最低でも理系からは工学と医学、そこへ人文系と、すばらしく学際的である。工学部では、すでに環境の名を冠している環境エネルギー工学専攻だけでなく、地球総合工学、生物工学や応用化学など、ほとんどの専攻が関係する。人文系でも、人間科学や経済、グローバルな環境問題となると外国語学部や国際公共まで極めて多岐におよぶ。

これらの関連学部の学部学生を対象に提供するコースと、環境学部が独自におこなうコースを組み合わせて、環境学部のカリキュラムを編成する。そうすれば、大学全体の教育義務をさして増やさずにすむ。ただし、関連学部におけるコースは、かなりスッキリした完結度の高いものでなければならない。そのためのスタートアップには手間がかかるが、むしろ旧来の教育を見直すいい機会になるだろう。それに、そのようなコースに整備すれば、間違いなく社会人が聴講しやすくなる。

さらには、あまり関係のない学部の学生にも学びやすくなる。人生100年時代である。環境をトータルに理解するために一年間よけいに学ぶ、いわば積極的留年を選択する学生が出てきても面白い。たとえば、環境に詳しい哲学科の学生や数学科の学生とかが出てくればとっても素敵だし、就職にも有利になりそうだ。

所信表明の「教育の復権」に書いたように、これから必要なのは、知識ではなくて考える力だ。あたらしく作る環境学部ではそのような教育をメインにする。環境問題のテーマは極めて多岐にわたる。教員が問題を提示するのではなく、学生が自ら問題を設定し、チュートリアル教育を徹底しておこなう。これには、苅谷剛彦が『教え学ぶ技術』(ちくま新書)で紹介しているオックスフォードの教育法を導入したい。

文理の壁を越えたさまざまな部局の教員が、教教分離で作った環境学部というアンダーワンルーフで、教育を通じて意見を交わす。その結果、所信表明のトップにあげた「知の共有」が大きく推進されて、大学改革の起爆剤になっていく。想像しているだけでなんだかワクワクしてきた。

夢物語かもしれない。しかし、決して実現不可能な夢物語ではない。この程度の夢を真剣に物語れないような大学はつまらなさすぎる。

写真:モントリオール大聖堂

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