2021-04-22

プライベートな理由

候補者になることを決断するには、いろいろな理由があった。その多くは、これまでに学内外で用務をこなしながら考えてきたことで、おいおい書いていくつもりだ。しかし、人間というのはそういった社会的あるいは公的な経験だけで動かされるものではない。個人的な経験からのモチベーションもあった。

ずいぶんと前から、定年後は完全に引退して、家の裏にある小さな畑で農作業をしながら、読書と物書きをしようと思っていた。文字通りの晴耕雨読である。しかし、出口治明さんの考えを聞いて、すこし気持ちが揺らいだ。

知の巨人・出口治明さんとは、ノンフィクションレビューサイトHONZの会合でお目にかかって以来、10年近いお付き合いである。大阪で時間のとれる時はいつも声をかけてくださり、ご一緒させていただいてきた。最初にお会いした時、さしたる言葉を交わすこともなく、尊敬に値する人だと思った。一目惚れのようなものだ。レベルは全く違うので僭越至極だけれど、考え方がよく似ている。ただし、一点を除いて。

出口さんは、少子高齢社会において、人間はできるだけ長く働くべきだというお考えだ。わたしのような定年即隠居生活を望む者とは真逆である。自分のことを決める時、あまり人の意見を聞く方ではない。しかし、心から敬愛する出口さんの考えとなると話は別だ。なんとなく、気持ちがゆらいだような状態になっていた。

自らが設立されたライフネット生命の会長を退かれて、3年前から立命館大学アジア太平洋大学の学長を務めておられる。大阪大学の経営協議会委員もお引き受けいただいていることだし、候補者になるかどうか、最後は出口さんに相談して決めることにした。年明けのことである。正直なところ、背中を押してほしかった。

ところが、そのころから出口さんのSNSでの発信が途絶えた。訝りながら問い合わせると、病気療養に入られたとのこと。昨年の秋、学内のレストランでランチをご一緒して、2時間以上も二人っきりであれやこれやとお話しさせてもらったのだが、その時は総長選のことなど考えていなかった。もし相談していたら、どんなご意見をいただけていただろうかと思うと、かえすがえすも残念だ。一刻も早いご快癒を願っている。

つぎは数年前、大学の同級生、K君との会話。定年後、とあるポストについてはどうかという話になった。いやぁ、老後は晴耕雨読やからと答えると、「仲野、ちょっとは人の役にたつ仕事をしたらどうや」と諭された。確かにそうだ。ずっと税金を使って好きな研究をしてきた。あまり役にたった記憶はない。そんなこと言われたかてしゃぁないわなぁと思いながらも、ずっと心にひっかかってきた。たぶん、言った本人はすっかり忘れているのではないかという気がするのだけれど。

三人目は干場弓子さん。出版社ディスカヴァー・トゥエンティワンの設立に関わり、ベストセラーを連発させた編集者にして実業家だ。わたしとほぼ同年配で、数年前にいちど大学に訪ねてこられたことがある。干場さんのご本『楽しくなければ仕事じゃない:「今やっていること」がどんどん「好きで得意」になる働き方の教科書』がすごく面白かったので、講演会を聞きにいった。去年の2月のことだ。

そこで発せられたのは、ミッションの重要性だ。あまりに刺激的だったので、珍しく講演を聴きながらメモをとっていた。そこから少し紹介しよう。キーワードは「日本を元気に」、「社会課題×得意なこと」、「ミッションが人(他人も自分も)を動かす」。そして最後は「No mission, no life.」と断言された。もう60歳を超えたのに無理言わんといてほしいわ。ミッションは晴耕雨読かなぁと思ったのだが、そんな甘い考えを許してくださるような人ではない。

窮すれば通ず。その時、ふと頭に浮かんだのが「日本の大学を変える」というフレーズだった。我ながら偉いぞ、ちゃんとメモしてある。といっても、それ以前に考えたことなどなかった。自分に実現できる可能性があることで、余生を賭けてもいいようなミッションといえば、それ以外にはない。しかし、いつか実行に向けて行動を始めるなどとは夢にも思わなかった。

出口さんの「定年後も働く」、K君の「人の役にたて」、そして、干場さんの「No mission, no life.」。この三つが候補者として立つプライベートな理由である。

写真:穂高岳:涸沢テント場からのモルゲンロート

関連記事