2021-04-21

5つの旗印:下

5つの旗印のうち残りのふたつ、「オープンであれ」と「公正であれ」は、相当に密接な関係にあると考えている。オープンにするならば、普段から公正にしておかなければならない。逆に、公正にしていれば、オープンにしたところで何ら困ることはない。

大学本部からの発表を見ていると、まるで大本営発表ではないかという気のすることがある。不祥事や処分といった悪いことも発表されるが、やむを得ない場合以外、都合の悪いことはあまり公表されない。たとえば、なんとかランキングで上位に入りましたは宣伝されるが、今年は下がりましたとかはされない。する必要がないと言われるかもしれないが、大学からの発表しか眺めていなかったら、下手をすると大阪大学は上り調子一本だと誤解されかねない。

得意澹然(とくいたんぜん:得意な時ほど淡々と謙虚にふるまう)、失意泰然(しついたいぜん:失意の時こそゆったりとかまえる)、というではないか。うまくいった時にははしゃぎすぎず、そして、ダメな時こそゆったりかまえて対応策を練る必要がある。前回書いた「実験的であれ」と共通している。

個人だって大学だって、いいことだけでないのは当たり前だ。耳障りのいいアナウンスばかりなどというのはありえない。たとえば大阪大学では大幅な教員削減策が取られていない。それ自体は素晴らしいことのように聞こえる。だが、そのことにより財政にどのような負の影響があるのか。公正に検討して同時に発表しなければ、ほとんどの構成員にとって判断のしようがない。

どうしてこんなことが、というような内容が、それも時には唐突に、本部から部局へ伝えられることがある。もちろん十分に検討された結果だろう。その検討が公正であれば、きちんとその過程をオープンにして示せばみんなが納得するだろうに、必ずしもそうはなっていない。

教授になって四半世紀を超えた。大学というのは物言わぬ文化だとつくづく思う。はっきり物を言うのをよしとしない、と言ってもいい。そんな中で、わたしは多くの人から例外的だと思われているようだ。自分としてはそのようなつもりはないのだが、不徳のいたすところだろう。

そんな物言わぬ文化であるから、憶測やら忖度やら、さらには、あらぬ噂や陰謀説まで出ることがある。総長選考でだって例外ではない。すべてをオープンにする訳にはいかないことくらいわかっている。しかし、可能な限りオープンにすべきだ。

みんながはっきりと物を言い合って納得するまで議論を戦わせる。そして、それが終われば恨みっこなしで決定にしたがい共に働く。どう考えてもそれしかない。物言わぬ文化から議論と納得の文化へ。そういう方向へと大学の雰囲気を変える。それには、オープンと公正、この二つの旗印が絶対に必要だと考えている。

先日、三名の候補者とその所信表明書が公表されました。ただし、学内限定です。「開かれた大学」を謳う大阪大学なのに不思議なことです。はたしてどういう方向を目指している候補が選考されるのか。広く公開して、一人でも多くの人に見てもらえばいいのではないかと考えています。そうすれば、内容のファクトチェックにもなるはずです。さて、みなさんはどう思われますでしょうか。

写真:穂高岳・涸沢キャンプ場の夜

 

関連記事